博徳館

   戦争はいかなる理由があろうとも 避けなければならない

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本年、令和7年は、日本が無謀な対米英戦争に突入して、国民を奈落の底に落とし込み、敗戦になって80年の節目の年です。日本は日中戦争で米国が関与して、泥沼に嵌ってしまった。戦争末期、1945年3月13日夜から、14日未明にかけて、米爆撃機B29、,274機が大阪を襲った。その4日前の3月10日未明、首都東京への空襲はおびただしいB29が来襲し、下町中心に約40平方キロの市街地が焼失してして多くの市民、11万5千人以上が犠牲になった。

沖縄戦では県民を巻き込んだ激しい地上戦が行われ20万人を超す犠牲者が出た。そして全島が占領され、沖縄本島中部や宜野湾や伊江島では、住民が耕していた土地が、強制収容され、アメリカ軍の基地となってしまった。日本軍は、軍の統制の乱れと、弾薬と物資の窮乏で打つ手は無くなっていた。唯一、アメリカ軍に対して、攻撃できたのは、爆弾を抱えたまま敵の艦船や基地に体当たりする特別攻撃であった。特別攻撃は、九州、沖縄、台湾の基地から出撃させ、若き尊い命を奪ったのである。

日本は制海権、制空権も失い、全国の市街が焦土化となってしまった。もはや戦況は絶望的であった。それでも戦争継続を呼号する強硬派は、国体護持を死守するため「本土決戦」を画策したのである。政治指導者たちの一部が辛うじて軍部の暴走を止めようとしていた。その中心は昭和天皇であった。昭和天皇は苦渋の表情で「この戦争を止められるのは、もう他に人はいない。頼むから、鈴木、曲げて承知してもらいたい」と懇願されたのである。

元侍従長を務めていた77歳の鈴木貫太郎は、天皇の心を身に受けて、首相の大任を引き受けたのである。鈴木首相は、旧ソ連の仲介による連合国との講和を目指したが、旧ソ連が日ソ中立条約を破り、宣戦布告された為、頓挫した。

御前会議で昭和天皇の「聖断」を仰いでポツダム宣言の受託へ導いた。昭和20年8月6日、広島、さらに9日には長崎に、原子爆弾が投下され、両都市は一瞬の内に壊滅状態になり死傷者が続出して打つ手がなかったのである。この原爆投下で、10万人の非戦闘員を無差別に殺戮する原爆投下は残酷であった。さらに、旧ソ連が参戦し満州への侵攻があり、御前会議で陛下に「終戦の御聖断をいただきたい」と鈴木貫太郎は申し述べている。それを受けて昭和天皇は、事前に「終戦詔書」を朗読したレコードで、8月15日正午、「堪ヘ難キヲ堪ヘ」という天皇のお言葉は、全国民にラジオ放送で伝えられた。日本はポツダム宣言を受託して、無条件降伏を行ったのである。日本は、現在まで、先の戦争とは、何であったのかを、正しく検証はしていない。

信頼できる日本近代史研究者が、多数おり、専門分野が異なっても、確かな資料を研究し、戦争中の指導者が存命中に、重い口を開かせて、聞き取って当時の実態を記された本もあり、読み応えがある。たとえば、半藤一利氏、保坂正康氏、細谷雄一氏、北岡伸一氏、等の著者。その他にも多数おられる。また、自虐史観だと批判している学者もおられる。私は文学作品は好んでいるが、こちらの方が読んでいると、ドキドキして嵌ってしまった。

昨年12月10日、日本被団協に、ノーベル平和賞が受賞された。これは核兵器廃絶を目指せとの世界へのメッセージであると思う。授賞式で、ノーベル委員会のフリードネス委員長が「日本被団協と被爆者の絶え間ない努力が、核のタブーを築いていく上で他に類を見ないほどの貢献を果たした」と強調。「被爆者の体験を広げることが、人類の責任である」と語った。

日本被団協の田中熙巳代表委員は、スピーチで核兵器使用の危機を絶対に回避しなければならないとの責任と気迫あふれる声で「13歳の時に長崎で被爆した」と体験を語り、続いて「生き残った被爆者は病気や生活苦、偏見に苦しみながらも、”同じ苦しみを世界中の誰にも経験させない”との決意で運動に取り組んできた」と語った。さらに、「次の世代が工夫して今後の核兵器廃絶運動を繰り広げてほしい」と期待を寄せ、「核兵器も戦争もない世界を求めて共に進もう」と呼びかけました。

――核兵器で人類を自滅させてはならない――

現在世界では核兵器使用の威嚇が繰り返されるなど、核使用のリスクが冷戦以降で最大に高まっており、すべての指導者や市民が被爆者の証言に耳を傾けるべき時である。

本年3月に、米ニューヨークで核兵器禁止条約国会議が開催される。日本が唯一の、戦争被爆国であり、日本政府として締約国会議へのオブザーバー参加を是非、実現してもらいたい。『絶対に核を使用してはならない』という日本の考えを世界に発信して頂きたい。

実は、私も先の戦争で父が戦死した、被害者の一人である。

家族は満洲の地で生活していて、父が招集され、終戦後に旧ソ連軍に捕らえられシベリアの奥地に抑留され、重労働を強いられ粗末な食料と寒さに凍え、事故に遭って死亡したのである。

2015年(平成27年)に厚労省主催による、旧ソ連抑留中死亡者慰霊巡拝に参加して、悲しみの中でも、貴重な体験をしてきた。その感動的な出来事を、遺族の方、総意で文集を作成した。その時、遺族の皆さまとロシアの人々との、素晴らしい交流体験を、このHPの冒頭に載せることにしたので読んでいただきたく思います。

次に、日本は、なぜ無謀な戦争を始めてしまったのか?。国民は食料が少なく経済的にも困窮しており、機銃や弾薬、車両、物資等が枯渇になってしまっても、戦争を止められなかったのか(引き返すこと)?。戦争指導者は、なぜ、国民の生命財産を守ることができなかったのか?。なぜ、戦争を起こさせない世界平和を求め築くため、協調外交交渉を行えなかったのか?。等々の疑問があるので、大変難しい問題提起だが、識者の著作を学びながら、さらに論を進めていきたく思う。

戦後70年は安倍晋三政権であった。安倍首相は、2015年8月の終戦記念日に「安倍談話」を発出した。その内容(要旨)は、「100年以上前に西欧諸国による植民地化がアジアに押し寄せ、日露戦争は植民地支配下にあったアジアやアフリカの人々を勇気づけた」と現代史を振り返る言及から始まる。「日本は満州事変、国際連盟からの脱退と針路を誤り、戦争への道を進み、敗戦した」と総括した。続いて「犠牲者に痛惜の念を表すとともに、永劫の哀悼の誠を捧げる」との認識を示した。「広島や長崎での原爆投下、各都市での爆撃、沖縄での地上戦などにより市井の人々が無残にも犠牲になった」とし、「断腸の念を禁じ得ない」と表明した。また「二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に決別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない」とも表明した。

安倍首相は、最後に「私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国はいかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公平で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界のさらなる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。私たちは、国際秩序への挑戦者になってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、『積極的平和主義』の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄に、これまで以上に貢献してまいります。」と力強く国民に呼びかけた。

この安倍晋三、元首相の呼びかけに、大半の、日本国民は賛同し、同意することと思う。

私は、青年の時から、痛切に感じ、重要であると思っていることがある。それは、日本人の多くの人たちは、宗教の重要性を軽視していることである。日本人は、戦前の教育の中で、神道による教育が行われ、戦争に繋がった、経緯から、GHQは日本政府に対して「四大教育指令」を順次発布し、軍国主義を吹聴した教育関係者を追放し、学校教育と国家神道の結びつきを除去するなどの措置が取られたため、宗教教育は避けてきた。

戦後の混乱期に、雨後のタケノコのように、怪しき邪な新興宗教が息を吹き返し、新たに人を誘惑する新宗教が発生し、庶民を惑わしていた。既存の神道、仏教、キリスト教、も指導力を失い、観光地化している。多くの日本人は、日常生活に宗教には関心を寄せず、結婚式は、神道、キリスト教で、葬式は仏教で行うのが、あたりまえと思っているようである。著名な歴史家や、研究者たちが、各宗の教義を、著作物で発表しているが、心に響くものが無く、庶民には受け入れられてはいないようだ。

そのような中で私は、16歳の時から、人生には、人間として真っ当な生き方を指導してくれる宗教は必ず存在するはずだと感じていた。その宗教は、神道やキリスト教、既成仏教ではない。本当の宗教は、身近に感じられ生きる喜びを得られる宗教であろう。と思って大書店や神田の古本屋等で探しまくったが見つからず、途方に暮れていた。

19歳の時、職場の後輩からの紹介で、真実の宗教に巡り合い、深く感動して、真剣に学び実践してきた。その宗教は、どんな宗教であるかは、此処では明らかにしない。本文で語りたく思う。

この宗教は間違いなく、人々の心田に火をともし自身を耕し、喜びをともなった智慧と勇気を湧き立たせ、荒れ狂う社会の中で、触れ合う人々を覚醒し合う宗教である。この信仰が世界中に弘まって、賛同者が多くなれば、やがて人類が描いた夢の恒久平和が実現できると確信する。

長文の、案内の挨拶になって、恐縮ですが、続いて本文を読んでいただけたら嬉しく思います。

 

2ページ目、素晴らしき出会いと 歓談の八日間の旅


 


 

3ページ目 日蓮大聖人と「法華経」について

4ページ目 勤行唱題は 仏道修行の究極

5ページ目 私の人生の宝 その二