私の人生の宝 その二

  私の人生の中で、最も充実した使命を果たせた出来事を、記しておく。
  それは、1998年11月10日(火)から30日(月)まで、戸田記念国際会館で「法華経とシルクロード」展が開催された。
  開催されて5日後に、妻と二人で観覧に来た。展示物をメモを取りながら、鑑賞していたら、その姿を、東洋哲学研究所の、市倉洋一事務局長が、遠くから見ていたらしく、目が合ったので、挨拶をした。微笑みながら佇んでいた。
    意義大きい 「法華経とシルクロード」展
 法華経のサンスクリット語(梵語)の原典写本など貴重な文献を紹介する「法華経とシルクロード」展が30日(月)まで、東京・新宿区の戸田記念国際会館で開催されたいた。
 これは、世界的な学術機関・ロシア科学アカデミー東洋学研究所(サンクトペテルブルク支部)が所蔵する写本・木版コレクション47件を展覧するものである。
    人類の知的遺産として
 帝政時代のロシアは、シルクロードの調査を世界に先駆けて実施、同研究所は、その伝統を受け継ぎ、数多くの文献を収集・所蔵し、大きな研究成果を挙げている。所蔵文献は、質量ともに、大英博物館、パリの国立図書館と並び称される。
 今回の出展は、その人類の知的遺産の貴重な一部である。
 用いられている言語は、サンスクリット語、西夏語、ソクド語、古ウイグル語、など14言語にのぼり、文字も、カローシュティー文字、ブラーフ三―文字、漢語、満州文字、モンゴル文字、ハングル文字など13種類に及ぶ。また、時代も、紀元一~四世紀と推定されるものから、十八世紀にまで至る。民族と時代を超えた仏教文化の広がりを感じさせる。
 なかでも「ペトロフスキー本」と呼ばれる法華経写本は、中国・新疆のカシュガル駐在のロシア総領事・ペトロフスキーが十九世紀末に入手したものである。法華経梵本には、ネパール本、ギルギット(カシミール)本、中央アジア(西域)本の三系統がある。
ペトロフスキー本は、中央アジアの代表的なもので、法華経研究の基礎文献となる重要なものである。原本そのものが海外で公開されるのは初めてのことである。
 また、西夏語本は、十一~十三世紀に中国北西部に栄えた仏教国・西夏の木版本である。
 西夏研究は、1909年、ロシアのコズロフ大佐によるハラホト遺跡の発掘によって、大きく進展し、その出土品はサンクトペテルブルクに運ばれた。今回の展示写本も、コズロフ大佐が発見したものである。
 西夏語本は、鳩摩羅什が漢訳した「妙法蓮華経」を底本に翻訳したものである。
 西夏語経典は、いくつかあるが、他の経典は逐語訳に近いが法華経は民衆語も取り入れた達意の訳となっており、広く人々に信仰されたことが窺えるという。西夏語本は、これまで海外での公開も出版も行われておらず、貴重な機会である。
 未曽有の企画である同展は、96年11月、東洋学研究所のペトロシャン前所長と東洋哲学研究所の創立者である池田大作SGI(創価学会インターナショナル)会長との語らいの中で、約束され実現の運びとなった。
 SGI会長は、冷戦のさなかの1974年、9月、初訪ソのおり、始めて同研究所と友情を結んで以来、友好を深めてきた。
 96年に同研究所から、世界二人目の「名誉会員証」を授与され、またこのたびロシア・サンクトペテルブルク三十二研究機関の総意として「特別功労顕彰」が贈られた。
     日露の更なる友好の絆に
 さらに、東洋哲学研究所との共同研究も進められており、97年6月には、同研究所にロシア・センターが、東洋哲学研究所内に開設されている。(現在は、創価大学内に、移設されている)。創価学会が東洋哲学研究所に委嘱して行っている法華経写本プロジェクトでも、交流が行われている。展示内容が学術的に価値が高いのは勿論、ロシアと日本の友好を深める重要な催しである。
 さまざまな社会状況の変動を超えて、人類に明るい未来の指標を与える哲学に、二十一世紀を前に光が当てられたことは、仏法史上大きな意義があるといえよう。(平成10年11月12日聖教新聞社説)。
     東洋哲学研究所 創立者挨拶
 ロシア科学アカデミー東洋学研究所サンクトペテルブルク支部は、全世界の仏教研究者、東洋学研究者たちにとって、憧憬の場所である。 バールトリド、アレクセーエフなど、先駆的存在をキラ星のように輩出した東洋学の殿堂である。
また、梵語仏典の研究では著名なオルデンブルクや仏教論理学を世界に紹介したシチェルバッコイをはじめとする仏教学の碩学も輩出している。
 十九世紀後半より、中央アジア、シルクロード各地で貴重な経典類の発見が相次いだ。同研究所に収集された仏教経典、写本のコレクションは世界的な規模を誇っている。
 「法華経とシルクロード」展と銘打った本展は、人類の至宝ともいうべき同研究所のコレクションのオリジナルとしては海外初の公開である。
 紀元前一世紀のスリランカで大飢饉が起こり、このままでは人間と共に仏教そのものも滅びてしまうという危機感から、仏典の書写が始まったという伝承がある。無論、それまでは口伝であった。大乗仏教は経典自体が書写を勧奨している。その意味は、一人でも多くの人々に仏教を伝えたいという大乗の精神の表れであろう。本展が、今後の大乗仏教研究に大いなる学術的貢献をなすことを期待するものである。
 私は、少年時代からシルクロードへのあこがれを懐き続けてきた。シルクロードは、”東西文明交流の道” であり、仏教が伝播したルート、”ダルマ・ルート” でもあった。
 本展では、他民族共生、多文化共存のモデル・ケースとも言いうるシルクロードの姿に触れることができる。サンスクリット語、パーリ語、漢語、西夏語などの多言語で書写された「法華経」等の経典は、まさに仏教を基調にしたシルクロードの文化がいかに多様な文化を開花させたかを物語っている。
 同研究所のヴォロビヨヴァ博士は、1996年11月、日本でお会いした折、法華経の魅力について、「法華経は、人間完成、自己完成への『太陽』であり、『光』である」との識見を示された。
 「法華経」には、有名な「山草二木譬え」(薬草喩品)が説かれている。
 私どもが信奉する日蓮は、その深義を ”自体顕照” ”桜梅桃李” と表現し、「多様性を生かす道」を示唆されている。
 あらゆる人種、民族、文化の共存、また自然環境との共生を示す ”智慧” は、二十一世紀の「地球的共生の時代」を開く、”鍵” であり、「法華経」の真髄である。

 最後に本展の開催が、日露間の文化学術交流と両国間の友誼の進化に貢献することを心から願うものである。と池田先生は述べておられた。 

     法華経を中心とした 重要写本の撮影
 私は、11月1日付の聖教新聞に、10日から「法華経とシルクロード」展が東洋哲学研究所の主催で、戸田記念国際記念会館にて、開催されることを知り、必ず参観し、30日に行われる、ロケッシュ・チャンドラ博士の「二十一世紀と法華経の光彩」と題する、講演会にも参加したいと決めていた。そのような中、同研究所の大内裕家総務部長から電話をいただき、「5日に写本等の重要品の梱包を開くので、証拠写真を撮ってもらいたい」とのお話があり、夢かと思うほど嬉しくお引き受けした。
 その時の感動を地域の皆さんに会合等で、話したら大変喜んでくださった。
 そして、15日(日)に、化粧ガラスに陳列された法華経を中心とした、写本、木版本、コレクション47点を、つぶさに、一字一字を生命に焼き付ける思いで、拝観させていただいた。その姿を、市倉局長が見ていたようである。
 古代サンスクリット語、古ウイグル語、ホータン・サカ語、ソクド語、漢語、西夏語、モンゴル語、韓国・朝鮮語等、14言語、いずれも文字も美しく品格があり、迫力があり、勢いがあり、溢れる躍動感があり、それでいて、優しさもあり、文字が生き生きしていたので感動した。擦れて見えにくいブラフ三―文字の中に、書写された仏教伝持者の心意気が読み取れる思いがした。
 千数百年の時を超えて、私たちに、釈尊の教えを伝えようとされているようで、後世の人類が仏教を根底とした平和で楽土社会を現出されることを願い、人々の幸福を祈りながら、書写されたことであろう。
 そして、このような写本を書写された当時、異なった民族と交流し合い、多くの富者や、貧者、庶民、出家者や在家がこぞって、仏教伝侍者に真心からの、ご供養を捧げ、故人の追善を行い、生きとし生ける者の、永遠の成仏を願い、祈り、修行者に託したのではないだろうか。
 伝侍者は、その民衆の尊い志を全身で受けとめ、命がけで、東方に向けて、灼熱の砂漠を超え、ある時は、寒冷に身をふるわせ、飢えに耐え諸国を旅して、他民族との共生を通して、仏教を伝播し令法久住(りょうぼうくじゅう)のために写経をされたのでしょう。
 その尊い姿が、目に映るようです。そうした中に、音楽や、芸能、絵画等が、創作され、ギリシャ文明の影響を受けて、仏像が彫刻、鋳造され、仏閣、伽藍等が建造されたと思う。陶磁器や、芸術、医術、文学が生まれ、衣・食・住に関する生活様式も、より良き方へ改良されて発展し、物流も盛んに往来し合い、心豊かな生活が営まれていたのであろうと思う。
 しかし、暫くして、修行者たちが、堕落し、欲望を満たすため、為政者にすり寄り、民衆も、仏教から遠ざかり、過去の宗教と思うようになり、為政者は権力を振りかざし、勢力争いに明け暮れ、民衆を駆り立て、民族紛争を引き起こし、仏教が次第に、廃れていったのではないだろうか。
 そこへ、イスラム教が、入り込んで、仏教文物を破壊し、仏教者が多く迫害を受け、殺害され、そうした中でも生き抜いた心ある仏教者によって、生命がけで書写し、後世の人々のために砂漠に埋められ、保存され、そして、十九世紀に、ロシアの皇帝の命令で、シルクロードの調査隊によって、発見されたのが、今回、展覧された貴重な写本であり、世界で初めての展覧会であると思いました。
 そのように感動して拝観させていただいた中、18日再び、同研究所の大内部長から電話があり、今度は、写本の一点一点を、保存用、レプリカ作成用、出版物提載用の写真を撮ってもらいたいとの話があり、身に余る依頼でしたがお引き受けした。

 この「人類の精神の至宝」ともいうべき、写本を穢すことなく全力で完璧に高品質に撮らせて頂こうと決め、御本尊にご報告し、成功を祈りました。このような重要物の撮影は、展覧終了後、午後6時から9時までの3時間、しかも、27日までに撮り終えなければならず、数多くの写本があり、一人では撮影しきれないと判断して、先輩のYTフォトの豊田裕氏にも、手伝って貰いたいのですがと、市倉洋一局長に話したら了解を得たので、豊田氏に頼み込んだ。工賃の件で厳しかったが私が吞んで、快く承諾を得たので、20日から、二組で撮影を始めた。私と市倉局長、豊田氏は、私の妻、嘉津代がアシスタントとして、撮影作業を行った。
 当時、デジタルカメラは高額で機能的には未完成でフイルム使用が全盛であり、高精細富士フイルムプルビアを使用し、大型カメラ4×5とマミヤ中型カメラでブロニーフイルム6×8で撮影した。
 最重要の梵文『法華経』写本(カシュガル本、いわゆるペトロフスキー本)、292葉は、聖教新聞社の写真部で撮影し、その他、全部、私と豊田氏が撮影した。
 妻も名助手ぶりを発揮してくれたので、市倉局長の指示のもと、互いに連携を取り合って、素晴らしい高画質、高品質の写真を撮ることが出来たと思っている。
 一生の中で、このような重宝を、撮影させて頂いたことは、写真家として最高の栄誉であり、冥利に尽きる。
 ここで、伏せておいた方が良いと、思ったが、真実を明らかにすべきと判断して記しておきます。
 工賃の件、大内部長と市倉局長から、作業の前日に工賃の件で話があり私一人の作業ということで、工賃を決めて承諾していた。
 つまり、日当×撮影日数=工賃 (フイルム代を除き、経費を含んで)の計算で、支払いを受ける。
 ところが、重要物の点数が多かったので、豊田氏と嘉津代に手伝って貰った分は、別工賃であるべきで、しかも、撮影日数が増えた分は、受け取っていない。
 したがって、私が、工賃として受け取った分を、豊田氏に、支払ったので、私と嘉津代の工賃は、ゼロであった。また、バス代と西八王子から信濃町までの往復の交通費は、私が負担したのである。この重要な仕事はご供養の精神で行ったと言うべきであろう。
 後に、市倉局長と語り合った時、市倉局長は「この度の「法華経」の写本の撮影で、すべて完璧に使命を果たせたので、齋藤さんに大変感謝しています」と。また、「齋藤さんに、大変申し訳ないことを、してしまいました」とも、話していた。それは、豊田氏に合って、工賃の件を、知ったからであろうと思う。

 撮影のため、一点一点、手で触ることができ、感じたことは、千数百年、経っているとは思えないほど、薄い紙に書写されたものでも、しっかりしており、滑らかさがあり、故ウイグル語「法華経観音品」写本、鳩摩羅什訳「妙法蓮華経」写本巻き本、六世紀の書写、十八~二十三章は、しっかりしており、弾力性があり、肌触りがよいので驚いた。
勿論、ロシアの研究者の方々の手入れが行き届いているからこそ、保存状態も良好なのであろう。
 撮影しなければならない重要写本が、まだ、数多くあったので、市倉局長は、粘り強く、創価学会本部の責任者と交渉して、29日まで、撮影ができるようになった。
 写本の一つ一つが、師匠、池田先生の慈愛に包まれて、法華経を現在、実践し弘めている学会員に見ていただいている事が、最高に誉れであり、喜んでいるようでした。
『末法の尊き地涌の菩薩たちよ!今こそ、勇気を出して、太陽の妙法を世界人類に流布せしめ給え』と。叫んでいるようであった。

 さらに私は、30日に行われた、インドの「法華経」の大研究者である、ロケッシュ・チャンド博士の「二十一世紀と法華経の光彩」と題する講演を拝聴することができた。その中で、チャンドラ博士は、「池田先生は、『日出ずる国』日本にお生まれになった、『日本』は太陽の国です。インドでも『太陽』は重要な意義を含んでいます。釈尊も太陽の子孫とされる一族に生まれました。
 池田先生によって、『日出ずる国』は」再び『精神の太陽が昇る国』になりました。
 インドで生まれた仏教は、幾世紀もかけて、中国へ、韓・朝鮮半島へ、そして日本へ伝わりました。そして今、池田先生によって仏教は世界へ広がり、人類を啓発しています。
 池田先生によって、「法華経」が日本から世界に広まったのです。これほど嬉しいことはありません。まさに太陽が東から西へ移動するのと同じく、法華経も東から西へと、旅をしている。世界の各国を旅している。素晴らしいことです。
 この度の『法華経とシルクロード展』で公開された貴重な法華経の写本もロシアのサンクトペテルブルクから旅してきたものです。西から東に来ました。池田先生のご尽力で、日本から世界に法華経の『精神の息吹』が発信されています。
 池田先生こそ『新しき世紀を体現された大指導者であられます』」と。さらに五万人も訪れた「法華経とシルクロード展」を御覧になられたチャンドラ博士は、「貴重な展示会です。これほど大勢が来られたのは、池田先生はじめ関係者の方々が、心血を注がれたからです。先生の情熱に対する感動が広がったのです。先生は、経典に魂を吹き込んでくださいました。また見に来られた学会員の方々の心が、経典に喜びを与えているのです。鳩摩羅什は、日本を訪れたことはありませんが、今、正に、此処に居るとも言えるでしょう。きっと本当に、喜んでいると思います」と。このように讃嘆しておられました。

 この度の「法華経とシルクロード」展、開催に当たって、池田先生は、「謝辞」を述べておられます。
 謝辞の中で「激しい爆撃の嵐、食料もない、灯す明かりもない、その中で、寒さに凍えながら、貴研究所の幾人もの学者が、文献の上で、俯せになるようにして、殉じていかれたことを、私は血の涙が出る思いで伺ました。(ナチスドイツがロシアを攻撃)
 この度の国外で始めて、公開してくださる『法華経』の数々はあまりにも尊い先人たちの大情熱によって、死守されてきた『人類の精神遺産』なのであります」と。述べておられました。
 さらに、池田先生は、「今回の展示会も、後世、時が経てばたつ程、光り輝いて来るでありましょう。偉大な歴史を創っていただき、関係者の皆様に深く御礼申し上げます」とも。述べておられました。

 私は、この度の「人類の精神遺産」である貴重な写本の撮影に携わらせていただいた、東洋哲学研究所の川田洋一所長、市倉洋一局長、谷英也次長、大内裕家部長、スタッフの皆様に、感謝の意を込めて令状を綴り、差し出しました。

 この度の、貴重な「人類の精神遺産」の撮影の仕事は、私にとって一生、忘れることができない出来事であった。